僕が生まれたのは、昭和58年12月2日。
祖父、祖母、母、父、そして姉の二人姉妹の7人家族で生活が始まった。
どうやら僕は「できちゃった」子であり、結婚式もすでに経験済みらしい。
母は妊娠してからも銀行勤めを続け、満員電車で大宮まで通ってたんだって。
だから人ごみが嫌いになったのかな?
父は三洋電機の群馬の工場に働いていた、前は高校卒業後に陸上時代の先輩のいた籠原の工場、靴屋の店員を経て三度目の仕事らしい。
記憶にはないが、夜勤が多く、昼夜が不規則だったらしい。
祖父は税理士かなんかなんかんな?〜士がついてるだけによく「先生いらっしゃいますか?」と電話がかかってきた。
書道をやっていて、なかなかな腕前なのかしらんが、祖父の部屋は本と紙と墨の匂いで埋め尽くされていた。
仕事柄なのか根っからなのか分からないが、典型的な古い男だった、そして頑固でワガママだった。
祖母は・・・うまく思い出せない、今強く回想したのだがまく思い出せない。
とても不思議だ。
母が何度も言うぐらい、僕はおばちゃん子だった、いつも一緒にいた、おばあちゃんが大好きだ。
断片的に思い出せるのは、幼稚園のバスに迎えに来てくれたシーンと、死ぬ前の病院の姿、家に置かれた棺。
でもおぼろげで、顔をうまくイメージできない。
幼稚園の卒業の集合写真を撮るときに、先生に呼ばれた、だから僕は右上の丸の中に写ってる。
姉の妹は、保育士と事務職で働いてたのかな?
今は、ミシン屋と飴屋と結婚して、家庭を持っている。
柿沼家の初孫だけあって、よく物を買ってもらったイメージがある、写真もいっぱいある。
そんな、充たされた環境で僕は育っていった。