私は、これからの時代は生涯にわたる「学習能力」が重要になると確信しています。様々な分野を学ぶことに楽しみを見出すことができれば、人生の幅はもっと広がるでしょう。楽しみながら学ぶのは、決して悪いことではありません。
学習には「こうするべき」ということはありません。各自の「優秀」の定義は、広範だからです。だから、「このようなやり方をしているので、優秀ではない」と簡単に決めつけてはならないと思います。これは家庭や学校だけでなく、企業でも同じです。
私たちの国は国民国家であり、民主国家であって、決して企業の国家ではないのですから、人に対して安易にレッテルを貼ることは避けるべきです。 六十歳で会社をリタイアしても、台湾人の多くは起業したりボランティア活動を行います。むしろ定年後に黄金時代を迎えると言ってもいいかもしれません。会社は退くけれども、そのまま休むわけではありません。
こうした生き方は、台湾では一般的です。仕事をしながら自分で起業するとか、早めにリタイアして創業するとか、いろいろな方法があります。私の父も、リタイア後は非営利の教育活動に携わり、台湾全土を駆け回っています。私自身も33歳でリタイアして、今は公益のために楽しみながら仕事をしているわけです。
日本の小学校では、今年(2020年)からプログラミングの授業が始まったと聞いていますが、私は、デジタルに関する素養とスキルはまったく同じものではないと考えています。
「スキル」というのは、求められていることを時間内に、そして一定の条件の下で素早く正確にこなせるようにすることです。ある条件下で時間内に仕事を完成させるための「設計図」を書くことができるのは、立派な能力です。
しかし、私はそのようなスキルよりも「素養」(平素の学習で身につけた教養や技術)を重視しています。その主な理由は、ほとんどの子どもたちがメディアリテラシーの単なる受動的な読者ではないからです。実際、子どもたちはクリエイターでもあります。もしかすると、私よりSNSのフォロワーが多い子どももいるかもしれません。 私は子どもたちにイノベーションのパートナーになってほしいと思っています。指示された後に情報を探し始めるような子どもにはなってほしくないのです。
そのために必要なのは、「スキル」ではなく、「素養」なのです。 子どもたちが、「自分が興味のある問題や公的な問題を解決する以外の目的で、プログラミング言語を学ぶ」というのは、外国語を学ぶときに辞書に載っていることを完璧に暗記するようなものです。そんなことをしても必ずしも役に立つとは限りません。自分の関心を脇に置いてプログラミング言語を学ぼうとすることも、それと同じ行為です。 ただし、プログラミング言語ではなく、プログラミング思考を学ぶのであれば、話は別です。プログラミング思考とは、「一つの問題をいくつかの小さなステップに分解し、多くの人たちが共同で解決する」プロセスを学ぶことです。「最初から最後まで一人の力で解決方法を考える」やり方とは異なる方法を学ぶことで、どの分野でも通用する「問題解決の方法」が身につくでしょう。 もし、私が小学生だとすると、小学校の先生にはプログラミング思考、つまり「一つの問題を小さな問題に分け、複数が共同で解決する」という方式を、別の教科の授業にも取り入れてほしいと思います。要するに、プログラミング教育とは、「子どもにプログラミング言語を無理やり暗記させるようなものではない」ということです。
台湾では、数年前から小中学校でプログラミング教育が始まっています。ただ、実際はそれぞれの学校がそれを行えるかどうかを判断し、実施の是非を独自に決めています。台湾の場合、中学生の段階でやや専門的なプログラミング課程を学びます。それに対し、小学生の段階では、プログラミングのための素養を育てる課程を重視しています。
このように、プログラミングを教科と切り離したものとして学ぶのではなく、音楽の授業の中で実際に使ってみることが重要なのです。先生たち自身が「自分とコンピュータが一緒になって、一つのメロディを作り出せる」という感覚を育てることが、プログラミング思考の素養を持つ子どもたちを育てることにつながるのです。
それは小学生にプログラミングの用語を強制的に覚えさせることとはまったく異なります。
一番簡単なプログラミングは、たとえて言えば積み木のようなものです。「scratch」というプログラミングソフトは、プログラミング言語を覚える必要がないため、子どもや年配者に適しています。これは白紙のキャンバスに一から絵を描いていくようなものではなく、すでに描かれたものを自分で調整していって完成させるイメージです。 たとえば、二匹の虎が描かれていた絵に一匹追加して三匹にしたい場合、シンプルなプレゼンテーション資料を作るのと同じように、すでに描かれている虎をコピー&ペーストするだけで完成します。
こういうふうに話すと、「自分の力で作品を完成させなければ、達成感を得ることができないのではないか」と思う人もいるかもしれません。しかし、現在ではプロのプログラマーであっても、最初から最後まで一人の力だけでプログラムを完成させていません。多くの場合は「誰かの手で八割、九割まで書かれたプログラミングを修正しながら完成させる」という方法です。 こうした方法であれば、短期間で達成感を得ることができます。そして、プログラミング思考の素養を持つ子どもたちを育てるためには、このような方法のほうがいいのではないかと私は思います。