『一生感動、一生青春』みつを

理屈では人間は動かない

人間を根底から動かすものは、むずかしい理論や理屈ではなくて、全身(いのち)の感動であり、腹の底からの納得であると思います。理論や理屈では、人間は本気では動きません。その証拠に《理動》ということばは辞書にありません。反抗期や登校拒否の子供が大人を手こずらせるのは、そのよき例でしょう。

理論や理屈は、頭の一部で作るものですから頭のいい人には叶いません。感動はいのちの全部ですから、頭のいいわるい、学歴の有る無しには関係ありません。勿論、いかなるイデオロギーにも関係ありません。そして、感動には金一銭もかかりません。

感動は他から強制されるものでも、命令されるものでもありません。あくまでも自分自身、つまり、いのちそのものから出て来るものです。だから感動にはうそがありません。

戸籍上の年齢には関係なく、毎日何かに感動し、心のときめくこと、それを、私は青春と呼んでおります。

いのちあるかぎりは、いま、ここ、を、自分のいのちの正念場として、『一生感動、一生青春』の自分の旗をかかげて、いきいきはつらつ、いのちいっぱいに生きてゆきたい、と希っております。

幸せへのまわり道

いい映画に出会う。

ビジネスホテルで、久しぶりに1人でゆっくりいい映画をみれた。

家族の確執だったり、自分の感情=怒りのコントロールだったり、僕みたいな社会府適合者のバイブルのような映画だった。

実在の方をモデルにしているようですが、こんな人格者がいるのかと、僕も実際に話をしてみたかった。

トムハンクスが演じていますが、エンドロールに流れるご本人の映像が、イケメンだったので、人格者な上にイケメン!?終わったー、となりました。

きっとイケメンは人格者なのだな、イケメンで、お金があって、やはり「余裕」は必要なんだな、多分、ひがみか、、、

ただ、そんな最強ステータスだって、悩みも抱えとるし、なにより努力してると。

お金もないし、イケメンでもないし、人格者でもないけど、自分の中の問題や、自分と他者間の問題に、ちゃんと対峙しようと思った。

今年のテーマは4uだけど、夫婦だったり、血縁だとしても、他人だ。

それぞれ人格があり、ユニークで、縁があり一緒にいる。

わずか数十年、息する期間中で、接点のある人。

やはり最小単位の半径をしっかりしよう、半径というより、外ではなく内を改善しよう。

ビアノの低音をバンバンたたいたり、話すのをやめて目を閉じて1分間大事な人を想像してみたり、努力を真似しよう。

仕事中に、勢いよく椅子を蹴っ飛ばしたり、電話切ったあとに机たたいて叫んだりする、サイコパスだけど。

人格者だなと思う人だって、怒りや痛みを抱えてる、それをコントロールするよう努めてる。

マネしよう。

たまには、1人になるのいいのかも、静かな場所で、5回目のお風呂にり、ブログ書いてる、こうゆう時間が自分には必要なのかも。