孤独のすすめ

「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ、よほど問題だと思いますよ。「1人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエイティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていきます。その意味では、ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させるうえで強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。

「ランチメイト症候群」みたいな現象も出てくる。昼食を一緒に食べる相手のいない会社員、特に女性社員が、鬱やノイローゼにまでなってしまう現象のことですね。あれなど、本人や周囲が「友達がいないのは人間として問題である」と思い込んでいるからこそ起きるものでしょう。逆に、「友達は多ければ多いほどいい」とばかりに、部員全員で毎日ランチに行くことを事実上強制され、時間やおカネの浪費に頭を悩ませている会社員も存在します。

お昼休みぐらい「1人の時間」を作らないと、いいアイデアなんて浮かびません。本当に優れた発想というのは、1人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれるものなんですから。

背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。そう考える人にとっては「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。

最大の理由の1つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんな酷い目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれ青年期を迎えるんです。

「同調圧力」は教師や親からも日常的に掛けられ、口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立ってしまえば、確実に良からぬことが起きる。そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は、別なんでしょうけど。

“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」のままなんですね。彼ら彼女らにとっては、「友達が少ない人」はもちろん、「ランチを一緒に取らない人」も、「社員旅行や飲み会に消極的な人」も、みんな“集団に馴染めないかわいそうな人”になる。だからこそ、「友達の少ない人」を哀れむし、一方で、自分自身が孤独になることを恐れ、時にはノイローゼになりながらも「友達」の数を増やそうとする、と。

今の社会では、たとえ表面的であっても幅広い人間関係を維持し日々に忙殺された方が、かえって楽に生きられる、という側面もあります。生きていれば、誰だって人生の節目ごとに様々な悩みが生じてくる。でも、飲み会やSNSなどで絶えず誰かとくっつき、スケジュールを埋め続けていれば、「自分の心を常に麻痺させること」が可能です。そうすれば、本来なら孤独に自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる。「群れる」「つるむ」というのは、日々の不安を打ち消すうえでとても便利な道具なんです。「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」と根拠なき自信を持てるようにもなる。

「群れること」の弊害はまだまだあります。自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなることです。こういう人は人生の節目節目、特にレールから外れた時になかなか立ち直ることができません。そんな「自分を持たない人間」が、とりわけ定年を迎えると大変なことになります。

一方で、1人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多いから、どんな時も、心のバランスを維持することが可能です。その意味では、冒頭で出てきた「いつの間にか孤独を選んでいた人たち」は、実は自分の心がそうなることを欲して、無意識のうちに人間関係を整理してきたとも考えられます。人生の重大な局面を向かえ、もっと自分を知りたい、この後どう生きていくべきか考えたい。そんな深層意識があって、1人の時間を確保することを自分で選んできたとも言えると思います。

これわかる>>8人以上の飲み会には原則として参加しません。深い話ができませんからね。4人が限界です。

諸富祥彦・明治大学文学部教授

「will」が過剰な時代だからこそ「must」と「can」を磨こう

やりたいことは「意志」なので、英語でいうと「will」ですよね。

その下には「こういうことができます」という「can」、さらにその下には「これをしなければならない」という「must」があります。

人は「must」「can」「will」の順番で、成長していくと思うんです。

めちゃめちゃ強い「will」があるという人は、世の中のうちの5%くらい。

「やりたいことを見つけろ」と言ったところで、その5%が増えることはありません。

「will」がなかったら、まずは「can」を見つけましょう。

できること「can」を死ぬほどやった結果、周りに評価されたり、お金を稼げたりしたら、それがやりたいこと「will」になるかもしれません。

たとえば、日本代表くらいサッカーがうまかったら、めちゃめちゃお金が稼げるし、めちゃめちゃみんなに尊敬されますよね。

そしたら、そんなにサッカーが好きじゃなかったとしても、「俺サッカーでやっていこうかな。なんならワールドカップで優勝目指そうかな」と思うかもしれません。

それに、たとえ「will」に発展しなかったとしても、「can」が強くなるようめちゃめちゃ努力することで、人生は豊かになると思います。

だから「will」が見つからないなら、まずは「can」を探しましょう。

できること「can」がない場合は、その下のしなければならない「must」をやりましょう。

「会社でコピーをとらなきゃいけない」とか「飲み会で片付けしなきゃいけない」とか、仕事でもそれ以外でも、しなければならないことは絶対にあります。

だから、やりたいことも能力もなかったら、まずは「must」をやりまくる。

そうすると「can」ができるんです。

俺にも当然「must」をやりまくる時期がありました。

新卒で双葉社に入社したときの俺は、パソコンがまったく打てなかったんです。

アンダーバーの打ち方を何回聞いても覚えられなかったので、アンダーバーが入っているメールアドレスをコピペして、アンダーバー以外を消して、そのアンダーバーを大切に使っていました。

「アンダーバーの打ち方」をポストイットに書いて机の横に貼ったら、会社の人に「やばい」と言われていました。

でも、やらなきゃいけないから頑張ってやっていた。

そしたら、苦手だけどできるようになったんです。

パワポでの資料作成も、「40代以上の社員よりは箕輪のほうが上手いよね」と言われるレベルになって、アイデアをパワポに落とし込む仕事をいっぱい頼まれるようになりました。

これが「must」から「can」に変わった瞬間だと思うんです。

そうやっていくうちに、本を作りたいという「will」をやる機会に恵まれて、そこでめちゃくちゃ結果を出すことができたから、「もうお前は『will』で突っ走れ」と言われて、今があります。

西野さんとかホリエモンとか、僕みたいな、超強い「will」を持っている人を見て、「must」も「can」もまったくやっていない状態で、やりたいことばかり探す人が多い気がします。

超強い「will」があるならいいんだけど、それもないのに「will」を頑張ろうとしてもしょうがないんですよ。

ちなみに「will」には、「趣味will」と「プロwill」の2種類があります

「絵が好きなので、絵で仕事をしたいです」という人がいたとして、それが「プロwill」だったら、僕は激詰めしますね。

だって、絵で食っていける人が世界で何人いると思いますか?

あの村上隆ですら、いまだに睡眠時間3時間くらいで、毎日眠いと言いながら死ぬほど絵を描き続けてるんですよ。

「無名のお前は、それ以上努力してんの?」っていう。

「プロwill」を目指すなら、それくらいシビアな世界で戦わなきゃいけないんです。

そうやって「will」ばかり言って「must」も「can」もしない人たちがいるけれど、そういう人たちって「will」をいくらやっても、自分探しが永遠に終わらないと思います。

自分が今「must」「can」「will」のどこにいるかを意識して、何を磨いていくかを判断しましょう。

「must」や「can」は死ぬほど地味ですが、それを真面目にやっている人は「will」が過剰な時代だからこそ、めちゃくちゃ強くなると思うし、そこで身につけた力が「will」とかけ算されたときに爆発すると思いますよ。